☆ 会  期  2011(平成23)年12月20日(火)〜25日(日)
☆ 場  所  広島県立美術館地下 県民ギャラリー第1室
☆プログラム(PDF)


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ごあいさつ (詳しくはこちら)


「船小屋」(F30)
(第19回勤労者美術展/1988年)


「春風の浜」
(第1回社内コンベンション/1990年)


「陽光の浦」
(第21回元陽展/1991年)
 最初の5年間は「漁村」の風景を描いてきました。でも5年を経た時、自分は百姓はしてきたが漁師はしたことがない。ということは見たことを描いているだけで、漁師の気持ちになっていないことに気が付きました。
モチーフを変えたかったのですが、思い浮かばず1年間が過ぎそうになりました。
 このとき山田先生が「何か職場にないか」と言われ、コンピュータ屋の私は次のような絵になりました。


「TechnoPolice」(F80)
(第23回元陽展/1992展)


「High technology」(F30)
(第25回勤労者美術展/1994年)


「High technology」(S50)
(第46回萩市美展/1996年)
 モチーフは廃棄物のなかになりました。SCSIボードでした。それにケーブル、キーボードやバーコードをイメージし、さらにコア部分を破戒し現代社会の脆弱性を表現してみました。


「Y2K」(F50)
(第15回国民文化祭/2000年)


「Digital Divede」(S50)
(第51回萩市美展/2001年)


「IT」(S50)
(第52回萩市美展/2002年)
 基本色がグリーンからレッドになりました。深い意味はありません。愛用していたターナーのフレッシュグリーンが生産中止となったからです。でもこれが幸いし、西村不可止の「赤い画面」が定着していきました。
赤色の持つエネルギーとそれを打ち消す周りの黒色との対比が一段と映えてきました。このころからITの言葉が標準化しました。でも脆弱性は引き続き訴えていきます。(今も続いていますが割愛します)
ここには「回天の島」(F100)
(第38回元陽展/2007年)か

「追悼・沖縄健児」(F100)
(第39回元陽展/2008年)を
載せようとしましたが、絵は萩の生家にあります。
 搬送できませんでした。

「誓・ヒロシマ1946」(F100)
(第40回記念元陽展/2009年)

「どっこい生きてる」(F50)
(第33回グループ「集」展/2010年)
 2007年、当時の安部晋三首相が「憲法を変えたい」との発言からこのシリーズが始まりました。冒頭にあるように私は絵で自分の意思を伝えたかったのです。230万人の尊い命から私たちは何を学び、どう考え、どう行動するのか。私は護憲の立場から「九条の会」にも賛同しています。

「出会い」((F50)
(第36回グループ「集」展/2003年)

「枝垂桜(天寧寺)(F20)
(第12回尾道四季展/2006年/
落選)

「惜別のフェリー」(F20)
(第13回尾道四季展/2008年/
落選))
山口県熊毛町に来るナベ鶴をモチーフに家族愛を表現したかった。鶴は一生添い遂げるそうです。 自分では尾道が好きですし、何度も通っています。でも「尾道四季展」とは相性が悪く2回連続落選しました。結局飾ってもらえませんでしたので、自分で飾ることとしました。
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 何がなんだか分からず、無我夢中で、ただただ真面目に描いてきました。そんな25年を少し振り返ってみるチャンスとなりました。  
 「文筆家やライターは『文字』で、政治家やキャスターは『言葉』で自分の意思を表現できますが、絵描きの私は文字や言葉ではうまく表現できません。だから私は『絵』で自分を表現します。