「漁村Ⅱ」
第19回元陽展 1988年 F80号

「Web」
第47回萩市美展 1997年 S50号


大板山たたら太鼓
(第37回グルーブ「集」展/2014/F20号)
今後、世界遺産になるかも知れない「大板山たたら遺跡」が私の生家から約3kmのところにあります。江戸時代後期にここで製鉄されたものを利用して萩藩の洋式軍艦「丙辰丸」を建造したと資料にあります

このたたらでの作業を和太鼓で表現したのが「大板山たたら太鼓」。まちおこしで発足したものですが巨大太鼓が腹にずんと響き、小太鼓の連打や鐘の音など、一級品の作品です。近隣のイベントにも参加しています。また私の息子の披露宴でも演奏していただきました。

世界遺産に指定されても現地の遺跡に行くには離合もできない小さい道やトイレや駐車場も少なく、課題はかなり多いと思います。



交通安全六地蔵
(第35回グループ「集」展/2012/F50号)
この六地蔵は山口市阿東町嘉年地区の国道315号線で毎日24時間ずっと立って交通安全を見守っております。

嘉年地区は私の生家から約20kmです。ここを通って生家に帰っています。途中ちょっとおじゃましてスケッチを取らせていただきました。この効果かどうかは分かりませんが、ことし「25年間無事故無違反表彰」と「交通栄誉章緑十字銅章」をいただきました。これからも安全運転に努めます。
 この前年、同じような構図でかかしをモデルに作成したのがもとで「ふるさと」シリーズを始めました。生まれ育った萩市紫福地区にモチーフを限定してふるさとへの思いを表現してまいります。すでに一部は地元へ贈呈しております。


追悼・回天
 (第38回元陽展/2007/100号)

2006年内閣総理大臣に任命された安倍晋三氏が憲法九条の見直しに言及した。

 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 
 第二次大戦で約300万人の命と引き換えに手にした大事な九条だ。前の大戦から私たちは何を学んでいけば良いのだろう。
 人間魚雷「回天」の訓練基地があった周南市大津島に私は出向いた。いったん出撃した生きては帰れない。なにがそうさせたか。そこには決して美化されてはいけない少年の「いのち」があったのだ。



追悼・沖縄健児
(第39回元陽展/2008/100号)

沖縄は第二次世界大戦で一般市民を巻き込んでの地上戦が行われた。
 これは健児の塔があるそばにあるガマ(洞窟)から外を見た風景です。外からみるとアメリカ兵の視点になります。ここは沖縄師範学校の生徒が最期を迎えたところ。年齢は17歳から19歳、軍務では武器はなく、食事もほとんどなかった。伝令は一度に3人を送り、だれか一人たどり着けば良いとされていた。とても人間がする任務ではありません。
 沖縄戦では兵士と市民、約22万人の方々が命を落とされています。数字で表すと単なる大きさを示す記号になってしまいます。一人ひとり、かけがえのない人間の「いのち」なのです。


祈・ヒロシマ8.6

(第40元陽展/2009/100号)

広島に人類史上初の原子爆弾が8月6日午前8時15分に落とされました。14万人の人が亡くなられています。慰霊碑には「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」とあります。すべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。
 この絵は原爆ドームの中から外を見た風景です。もちろん今は中に入れませんので、外がわからスケッチを撮り、中から見たらこうだろうで描き上げました。外から見たら傍観者になりそうで、内からを想像することで当事者の気持ちになりたかったからです。


祈・ヒロシマ2012
(第43元陽展/2012/100号)
このアオギリは爆心地から1.3km離れた広島逓信局で被爆したが、翌春には奇跡的に新芽が咲いていたそうです。1973年現在地に移され、その近くには被爆アオギリ二世も立っています。現在、ここで取れる種やそこから育てた苗木「被爆アオギリ二世」は広島市の平和活動の一環として日本国内のみならず、世界中に配布され、植えられています。
 この絵は春先にスケッチをし、描きはじめていましたが、次第に葉の色も濃くなり、それに合わせて葉の数や色を増やしました。
 また途中から二世も加え、左端には現在のアオギリがやがて枯れていくことを想定して描き加えました。


どっこい生きてる
(第33回グループ「集」展/2012/F50号)

長崎市の山王神社にある「一本柱鳥居」です.1945.8.9に落とされた原爆でもう一方の柱が爆風で倒れました。かろうじて残ったもう一方の柱がバランスを取りながらけなげに立っています。またこの神社のクスノキも爆風と熱線により枝葉は吹き飛び途中から折れて黒焦げとなったものの、2年後奇跡的に新芽を芽吹き、次第に樹勢を盛り返し今日に至っています。これを歌にし、その題が「どっこい生きてる」でした。

長崎に残されている数少ない原爆遺跡です。
広島は原爆ドームに代表されるように、原爆に対しては「怒り」を伝えています。一方、長崎は平和祈念像に代表されるように「祈り」になっています。(ちなみに広島は「平和記念公園」、長崎は「平和祈念公園」)
 なぜこの違いがあるかも興味のひとつで、46年ぶりに長崎へ取材にいきました。所感は私のホームページに記載しております。

どうしても「不可止の想ひ」を伝えたいのでファースト・シーズンの中から2点は残しました。私と絵の格闘ものがたりです。想いはファーストシーズンを参照してください。

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八千代の丘美術館へリンクします。

 サードシーズンは現進行形の「ITシリーズ」、「非戦シリーズ」と「ふるさとシリーズ」で構成しました。

 文筆家やライターは「文字」で、政治家やキャスターは「ことば」で、絵描きの私は「絵」自分の想いを発信してまいります。


ぶれずに、ただただ真面目に描く。「至誠通天」
 『不可止の想ひ』を感じていただけたら幸いです。

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憲法九条を考える(非戦シリーズ)

ふるさとシリーズ

私の生涯の仕事でありました、コンピュータ関連を「High technology」から「Emergency」を経て「IT」シリーズへと繋がっています。おそらく今後も形を変えながら続けていくと思います。

ITシリーズ


IT2011(クラウド)

 (第7回萩市美展/2011年/30号)

「クラウド」とは「雲」のこと。インターネットを介してコンピュータの場所がどこにあっても距離は関係なく使えるとの意味。またハードだけでなく、ソフトもレンタルできる時代になりました。最初はアメリカの大手コンピュータ会社やプロバイダー(サービス提供会社)が提案していましたが、日本でも大手のメーカーやプロバイダの参入により、一般的なことばとして定着してまいりました。
 
 この年、3月11日に発生した東日本大震災により多くのシステムが停止に追い込まれた。また計画停電やリスクの分散のため、コンピュータが自社近くでなく他の安全な場所に共同で設置しようとする雰囲気が出てきました。
 でも実際は……です。喉もと過ぎればの感じです。

 

 
IT2012(ハッカー)

(第8回萩市美展/2012/30号)
  本来、「ハッカー」とは高い技術を持った人々を指してましたが、その技術を悪用する者をいつの時代からか「ハッカー」と呼ぶようになりました。
現在ではコンピュータを乗っ取り、遠隔操作でなりすましになることを意味しています。
 この年、5人のパソコンが遠隔操作され、4人が警察に誤認逮捕される事件があった。結局は真犯人が「自分が真犯人メール」を送ったところから逮捕された。ネット上の捜査がこんなにも難しいものかと感じた。と同時に真犯人逮捕の決め手は監視カメラやGPSなど意外とローテクであった。゜

IT2013(SNS)
 (第9回萩市美展/2013/F30号)

SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)とは、人と人とのつながりをサポートするコミュニティ型のWebサイトのこと。今や世界最大のSNSに成長した「Face book」や日本最初のSNSと呼ばれる「GREE」、会員数1000万人を超え社会現象となった「mixi」が有名である。そのほかにも「LINE」や「Twitter」もSNSである。
 私にもいろいろお誘いはあったがどれにも登録していない。ただ単にめんどくさいからの理由だ。


IT2014(ビッグデータ)

(第10回萩市美展/2014/S30号)
SNSやブログ、動画サイトなど利用者のデジタルデータがインタへ―ネット上に沢山蓄積されている。さらにそれらのコンピュータには、利用状況や通信記録などのデータも日々生成されている。これらをビッグデータという。
 2012年頃から、このビッグデータを高速かつ簡単に分析できる技術が登場し、ビッグデータを活用すれば、これまで予想されなかった新たなパターンやルールを発見できるようになってきた。
 例えば、アマゾンや楽天などのオンラインショップでは、購買履歴やサイト内のアクセス情報などのビッグデータを基に、商品を購入する際に、他のおすすめ商品などを表示している。
 個人的にはほっといてくれと言いたくなる。