なべツルに教えてもらったもの

八千代の丘美術館へリンクします。

▼画像をクリックすると大きくなります
▼画像をクリックすると大きくなります

憲法九条を考える(非戦シリーズ)

 セカンドシーズンは2001年の第32回元陽展に出品したITシリーズ時から、2011年の非戦シリーズまで、約10年間に描いた絵を中心に構成してみました。

ぶれずに、ただただ真面目に描く。「至誠通天」
 『不可止の想ひ』を感じていただけたら幸いです。


「漁村Ⅱ」
第19回元陽展 1988年 F80号

「Technopolis」
第23回元陽展 1992年 F80号 

「Web」
第47回萩市美展 1997年 S50号

第九条 [戦争の放棄・軍備および交戦権の否認]

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

ポスター及びリーフレットに載っているこの作品は現在、大州小学校が所蔵しております。その大州小学校から夏休み期間中限定で借りてきました
    
画像をクリックすると大きくなります。→
夏休み期間限定公開
(2014/7/23/~8/26)



平和・希望・カンナ 
 (第44回元陽展/2013/F100号

カンナは1945.8.6の原爆投下から約40日後には廃墟の中で咲いていたという。(広島平和記念資料館に写真あり)
橘凛保さんにより世界中に『希望をつなぐ真っ赤なカンナのリレー!』が広がっており、大州小学校もカンナ大使校として2008年から校庭の花壇でカンナを栽培してきました。

そして昨年、この大州小学校からマツダスタジアムまでの1.5kmをカンナで埋め尽くそうと「カンナ・ロード・プロジェクト」が始まりました。
6の子供たちとその保護者が植えつけから、真夏の炎天下での水やりと、ずっと見守ってきた。おかげで夏から秋にかけて素晴らしい花に囲まれて過ごした。
 またそばには五・七・五に込められた平和へのメッセージが添えられ、平和への強い勇気と希望が見いだせます。

マツダ財団や地元町内会も協賛し、この活動が今年も続けられています。

上記作品と入替公開
(2014/8/26~11月中旬)


どっこい生きてる
 (第33回グループ「集」展/2010/F50号)

長崎市の山王神社にある「一本柱鳥居」です.1945.8.9に落とされた原爆でもう一方の柱が爆風で倒れました。かろうじて残ったもう一方の柱がバランスを取りながらけなげに立っています。またこの神社のクスノキも爆風と熱線により枝葉は吹き飛び途中から折れて黒焦げとなったものの、2年後奇跡的に新芽を芽吹き、次第に樹勢を盛り返し今日に至っています。これを歌にし、その題が「どっこい生きてる」でした。

長崎に残されている数少ない原爆遺跡です。

 広島は原爆ドームに代表されるように、原爆に対しては「怒り」を伝えています。一方、長崎は平和祈念像に代表されるように「祈り」になっています。(ちなみに広島は「平和記念公園」、長崎は「平和祈念公園」)
 なぜこの違いがあるかも興味のひとつで、46年ぶりに長崎へ取材にいきました。所感は私のホームページに記載しております。


復・ヒロシマ2011(夾竹桃)
    (第41回元陽展/2011/F30号)

1945.8.6におとされた原爆では14万人もの死者がでています。数字にしてしまうと単なる記号になってしまいますが、かけがえのない人間の命です。

 原爆により今後70年間は草木も生えないと言われた焦土に、夾竹桃はその翌年には咲いたといわれ、市民に復興の希望と光を与えてくれました。現在は「広島市の花」にもなって夏には白や桃色の花をつけてくれます。一度散って咲き、また咲いては散っていくまさに復興のシンボルです。

 市内いたるところに夾竹桃があるのですが、平和大橋のたもとにあるこの樹が一番印象深かったのでモデルとしました。

 この年3.11に東日本大震災があり、福島原発でも放射性物質の放出があり、この地域の復興への願いも込めて制作しました。

IT2001

 (第32回元陽展/2001年/100号)

「IT(アイ・ティ)」のことばも前年の流行語大賞となり一般化した。しかし「イット」と読んだ人もおられたことも事実。

 私の勤めていた会社では1995年には個人配布のパソコンが一人一台となり、1996年には社内LANで全部のパソコンがネットワーク化された。それに伴い、情報化推進から情報セキュリティの重要性が問われた時期が2001年である。

 IT時代の情報はデジタル化され、コピーや改ざんがたやすくなる。守るべき情報は何か。完全に守ろうとすると途方もない出金となる。それでも悪意をもってすればできないことはない。やはり最後は「セキュリティ教育」とさかんに言われ、私も携わったひとりだ。
 

 
IT2002

(第33回元陽展/2002/100号)

 2002年はNimdaウィルスから始まりまった。ウィルスは自然界で生まれたものですが、コンピュータウィルスは人の手によって作られたもの。なんの得()があるのでしょう。ネットで世界中がつながっているもの便利ですが、瞬時にウィルスもばらまかれてしまいます。

 私の勤めていた会社でも1台のパソコンがウィルスにかかりました。すぐLANケーブルを抜き、他のパソコンで修復ソフトをダウンロードし修復しました。でもこの間約2時間。便利なようでもちょっとした不注意で大変な労力がかかります。

そんなこんなをIT社会のイメージであるCD-ROMの破壊で表現してみました。

ITの持つ力強さや便利さ豊かさを、一方では不注意が招くわずらわしさ。
矛盾をはらみながらもIT社会は膨らんでいく。


IT2004
β
 (第54回萩市美展/2004/F100号)

「β版」とは市場投入直前の評価版として、実際に使ってみて性能や機能、使い勝手を評価してもらうための試作品のこと。

 私もITシリーズとしては4年目でもあり、未完成版として発表しました。でも一応サインは描きましたが。

 画面を走る無数の微細な線は「線」にもなりきれない未熟な自分を表現しました。
 結局この絵は「萩市議会議長賞」をいただき、萩市美展の招待作家になりました。

 なお、この年で萩市が広域合併したため回数がリセットされ、翌年からは()1回萩市美展となりました。萩市美展には14回目の作品です。


IT2005
(第1回萩市美展/2005/F100号)

「個人情報保護法」が4月から施行されました。

私の勤めていた会社も顧客満足のためと企業価値向上に向けて「プライバシーマーク(Pマーク)」を取ろうということになり、私が事務局に選任されました。ようやく年度も替わってから「Pマーク」の使用許可がおりました。

 終わるや否や今度は「情報セキュリティマネジメント(ISMS)」です。このISMSをもらってから定年退職です。会社員生活の最後の2年はこの「Pマーク」と「ISMSに明け暮れました。(20063月定年退職)

全面赤色系で描いています。「集大成」の意味でもあります。


IT2006
(第37回元陽展/2006/F100号)

この絵を発表した時は定年退職後です。18歳で入社し、24歳からコンピュータに携わり、2006331日に定年退職。上司、先輩、同僚、後輩、お客様、時には叱られたたこともありましたがみんなに感謝です。42年間ありがとうございました。

右上のマルで抜いたのは多少肩の荷が下りた気持ちが出ていますか。

 翌日からは個人事業主として京装コンピューターの創始者である()岡田崇男様との縁故で6年間働きました。
最初の3年間は順風満帆でしたが、2009年のリーマンショック以降は業績が上がらず、20113月でとうとう契約解除となりました。

元陽展に100号の「ITシリーズ」として出品した最後の作品です。
というのもこの年、第一次安倍内閣で安倍晋三氏が「憲法九条を変えたい」と言ったからです。300万人の命と引き換えに手にした平和憲法を変えるなんて。この時期にきれいなITの絵を描いている場合ではない。風雲急を告げている。との想ひからでした。

「非戦シリーズ」主にサードシーズンで展示いたします。

▼画像をクリックすると大きくなります

ITシリーズ

どうしても「不可止の想ひ」を伝えたいのでファースト・シーズンの中から3点は残しました。私と絵の格闘ものがたりです。
想いはファーストシーズンを参照してください。


憩い
 (第24回グループ「集」展/2001/50号)

なべヅルは本州の飛来地として周南市八代で越冬します。

 ツルに魅力を感じたのはその生態です。ツルは一度カップルになるとそのどちらかが死ぬまで添い遂げるそうで、「家族愛」、「平和」を願う気持ちを表現するのに恰好のモチーフです。通常3羽の場合は雌雄とその幼鳥です。餌をついばむ時にも必ず一羽は見張り役をしています。
早朝、家を出て、少し離れた駐車場にクルマを停め、野鶴監視所から双眼鏡やカメラで撮ったものを再構成して絵にしました。
当時はカメラもフィルム式だったので沢山は撮れず、また遠くにいるため、400-700mm/1:8.3-14の望遠レンズを通販で購入したり、結構高くついたものです。


求愛
(第26回グループ「集」展/2003/50号)

八代地区には雌雄と幼鳥の家族に混じり、独身の成鳥も一緒にやってきます。雌雄が跳ね上がったり、くちばしを上にして「クルルー」とツルの一声を発するのが私には求愛行動と見えました。

 八代地区では古くから保護活動が行われていますが、次第に飛来数は減っています。一方、鹿児島県出水平野のなべヅルは一万羽近くいると聞き、この年、出水へ視察に行きました。
 
ここ八代盆地の餌はもみやドジョウをツルがねぐらに帰った後、撒いておくと聞きました。一方、八代平野は一万羽もいるのでイワシや小麦を日中トラックで配っています。またシベリアの繁殖地でカップルになると雌雄が育ったどちらか一方で越冬すると言われています。
そうかツルもイワシなどの高カロリー食になり、仲間の多いところへと一極集中になっているのか。