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           (第23回元陽展/1992年/F80号) | 
          
           私は高校卒業後電電公社(現NTT西日本)に入社し、NTTから分社したNTTデータ通信(後NTTデータ)へこの年に転籍しています。 
           
           昨年で漁村シリーズを打ち切り、『見たことから感じたこと』への切り替えの年でもありました。モチーフを何にしようか。苦悶の一年でした。カラオケは演歌を一切封じてJ-POP系の歌にしてみたり、外食時は和食系からカタカナ系の洋食にしたりと、生活環境から変えてみましたが、それでもなかなか構想がまとまりません。 
           
           締切時期も近づいているので、(故)山田先生に相談しました。すると「職場の中に何かないか」とのヒントを出されました。そんなある日、社内のごみ箱の中に捨てられていたSCSIボードやコネクタをみて、模様の面白さも手伝って、これにしようと思って描きはじめました。 
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          High Technology’93 
          (第24回元陽展/1993年/F100号) 
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          昨年の「Technopolis’92」で初めて本展で奨励賞をいただきました。私の生活に密着した絵が描けたことが一段と自信となりました。 
          
           この年、画材店で入手したターナー社のフレッシュグリーンの色がとても明るく気に入っていました。しかしこの色はすでに廃番になっているため、売り切れ寸前の何本かを9号チューブで手に入れました。 
           
           このころからバーコードが一般化されたと思います。それを画面の一部に取り込んでみました。 
           
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          High Technology’94 
             (第25回元陽展/1994/F100号) | 
          
           元陽展広島会場で、広島市教育委員会賞をいたたいた作品です。このシリーズも3年目を迎えました。 
           
           透明色にホワイトを加えるととても明るくて鮮やかになることを知った時期でもありました。コンピュータの機能である入力→演算・制御・記憶→出力と、赤い線で情報を表現してみました。絵の中央部に人物と思しきものを配置したのもはじめてです。より内面へ、ようやく自分の絵らしさが描けだした記念となる一枚です。 
           
           この頃は3DKのアパートの畳敷きの一室で絵を描いていましたので、終わると作品を玄関口へ移動し、それから布団を敷き就寝していました。 
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          High Technology’96    
          (第46回萩市美展/1996/S50号) | 
          
           5年ごとに主題を変えると決めた最後の年です。ちょうどこの頃にはターナーのフレッシュグリーンが無くなってしまいました。 
          前年の1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生しました。ハイテクによって運用されていた交通機関、通信網などは、巨大な地震の前にはなすすべもありません。もろくも破壊され、ハイテクの脆弱さも見えてきました。 
           
           萩市美展には48歳から出品しています。定年後は出身地の萩での生活と決めていたので萩での就職活動もしたり、萩での友人を作りたかったので応募しました。そのため最初の頃は応募規定どおり住所を約1か月間生家に移していました。 
           
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